日本人の感性と炭火の風情:日々に宿る美しさ
茶道で使う茶の湯炭。爆跳することがあるそうです。
お茶室で使う前に炭を一度洗うためで、乾燥が十分でないと爆跳が起こりやすくなります。また、炭火から漂うクヌギのほのかな香りが好まれることから、茶の湯の炭の焼きをあまくしているのも一因といわれています。
火花が飛び散って茶室の畳を焦がしたり、ときには着物に跳ねることも。
眉をひそめてしまう爆跳ですが、そんな爆跳にも風情を見出す文人たち。
蛍に桜
冬いたる蛍や飛火車炭 良保
炉のなかで炭がはぜ、火の粉が飛ぶ姿を蛍にたとえた句。
七輪にうちわで風をおくると火の粉が舞うことがありますが、炭火と蛍火が重なります。
小さく残っている炭火のことを蛍火といいます。
立花の火花やいはば遅ざくら 宗信
こちらは火花を遅桜にたとえた一句。
火花が桜色をしていたようで、蛍の句の爆跳より一際大きい爆跳現象だと思われると、炭博士岸本定吉さんは著書で述べています。
静寂
評論家の森本哲郎さんは、茶室での爆跳について次のように語っています。
「静かさというものは、音のない状態をいうのではない。音が音として、くっきり浮かび上がる。そのような空間と時間をさすのである。・・・・・
湯のたぎる音が茶室の静寂をささえ、懸樋の水音が夜の閑静をいっそう深いものにする。かぼそい虫の声が秋の夜の静けさを呼び、炭火のはじける音が、冬の午後の沈黙を生む。こうした『音』と『静寂』のこよなき調和の場こそ、日本人の愛した生活の空間であり、暮らしの時間であった。・・・・」
炭のはじける音が、音のない世界にさらなる静寂感を与える。
音と静寂の調和の空間は、俳句中の俳句といわれる「古池や蛙飛びこむ水の音」の芭蕉の句に通じるものがあります。
状況の美
西欧の美が「実体の美」であるのに対し、日本の美は「状況の美」。
日本の人は、昔から何が美しいかよりも、「どのような場合に美が生れるかに、その感性を働かせてきたようである」と述べるのは国立西洋美術館館長を務めた高階修爾さんです。「うつろいやすいもの、はかないものであるがゆえに、いっそう貴重で愛すべきものという感覚」が日本の美を創りだしてきました。
蛍の光に、おそ桜の輝き、炭のはぜる音、静寂の茶室に炭がもたらす色や音は「状況の美」を醸しだし、一瞬で消えてしまう炭火だからこそ大切に鑑賞されたのかもしれません。
おわりに
怪我や火事につながるような爆跳はかたくお断り。
けれど、多少のはぜるは風雅なおもむき。
これもまた、炭の創造的潜在力のなせるわざなのでしょうか。
<参考資料>岸本定吉, 1984.「木炭の博物誌」 総合科学出版;高階修爾, 2015「日本人にとって美しさとは何か」筑摩書房。